説明付き写真はいらない、見る人の感性(こころ)に訴える写真を目指して欲しい。
作品の説明をくどくどとキャプションに書かれているものをみるがそんなのは写真を見れば分かることである。
心揺さぶられる物語性・探索ごころ・思考性要素を含む写真こそが作品としての価値があるが、そのことの事実説明は不要だ。
作品のなかのあちこちに隠された要素があり、見る人それぞれのこころに訴えかけてくる作品展を待望している。 2022/11 mitsuru_Seki
写真でもっとも大切なことは、心の響きだ。頭で考えて撮ろうとしてはならない。
被写体と相対したときに本当に撮りたいのか、心が揺れ動くのかが大切だ。他人の受けを気にしたり、テクニックを駆使することでもない。写真に伝えたい感情が入っていればそれだけで良いとおもう。テクニック・技術的なことは幾らでも後で学べる。
揺れ動いた目の前の感動(心)を伝えるにはどうすれば良いのかを工夫することだ、それはもう自分の鑑賞眼を磨くしか方法は無いと思う。世の中には素晴らしい心に響くサンプルが数多あるのでそれらを鑑賞し心を豊かにするのも良いだろう、またコンテストにも積極的に参加し他人の評価を受けるのも良いだろう。
2022/05 mitsuru_Seki
数ある写真展の中でびっくりするような彩度過多な風景写真に出会うことがあります。風景写真をレタッチし続けているといつの間にか撮影現場の「記憶色」が分からなくなってしまいます。
レタッチ頻度が多くなりますと、画面上の綺麗な色彩に脳が慣れてしまい本来の「記憶色」が消されてしまう危険性があります。このような失敗を防ぐには、刷り上がったプリントから離れ、数日後に見直す習慣をつけて欲しいものです。 mitsuru_Seki
シャッターを押した瞬間、時間は停止する
写真は目前の景色を切り取った瞬間に三次元・四次元の空間は二次元の世界に固定化されてしまいます。つまりは刻々と変化する時間帯の輪切り状態、それが写真だと思うのです。
だが、作品には時間が停止したものと継続中のものが有るのも確かにあります。
私が素晴らしいと感動する写真は、その描写に時間が継続していると感じると同時に被写体の息づかい、空気感が感じられる作品です。私も常に空気感、時間、こころの息づかいの感じられる作品作りを目指しているのですが、こればかりは少々の努力では得られるものでは無いと痛感しています。 2021/10 mitsuru_Seki
私の写真論
絵画と比べて写真は真の芸術かどうかと騒がれる場合もあるが、そんな低い視点で私は捉えていない。
私にとっての写真は、己の人生から発せられる心の表現であって、今日まで生きてきた心の集大成、生かされてきた魂の呼応そのものだと思っている。
絵画でも写真でも魂(こころ)から発せられる呼応表現は、カンバスでも印画紙でも同じこと、画家の絵筆と同じくたまたまカメラと云う媒体を利用し、光による表現に他ならないと思っている。 2021/10 m_Seki
作品としての写真とは、芸術性の存在
写真とは、眼の前に展開する一瞬の光景を 感光物質という薄っぺらな表面に固定化したものだが、今のカメラでは誰でもがシャッターを押しさえすれば容易に写真化できる。
だがそれは作品とは言えず普通な記録写真に過ぎない。
作品とは、その写真の中に作者のこころ・感性・個性・思い込み(魂)が込められ、それを見るものをして感動させてこそ作品としての存在が生じる。 2021/07 mitsuru_Seki
だから面白い…
同じ被写体にカメラを向けて撮ったとしても個々の作品はまるで違ったものが出来てくる。このことは至極当然のことである。
眼の前の景色が撮影者毎によって、見えているもの、考えていること、つまりこころ(心)が異なるからだ。
作品とは具象的なものではなく心情的なものと考える。写真家個々の生き様がその作品中に描写されているから当然描写内容も異なってくるだ。
ある写真家の作品が有名だと云って、同じ場面を寸分の狂いなく撮る人がいるが 如何に愚かなことをしているのか以上のことからも分かると思う。 2021/01 mitsuru_Seki
感動とは作品と鑑賞者との間に存在する。
私はダヴィンチの絵画「モナリザ」には感動を覚えないが、マネの「すみれの花束をつけたモリゾ」やフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の絵画には心底からの感動を覚える。
感動とは不思議なもので、作品とその鑑賞者とが向き合った瞬間に感動が生じる。
作品を制作した時の作家の心情と、その作品を見る時の鑑賞者の心情が一致した瞬間に感動は生まれるものだ。
逆説的には、いかに世界的な名作と云えども制作者と鑑賞者とが異なった波長では感動し得ないものであり、このことからも万人に感動させる作品なんて有り得ないのである。
2020/06 Mitsuru_Seki
写真は愉しみながら撮るもの…
写真はこころの趣くままに、表現を愉しみながら撮るものと思っているし、それが上達する術だとも思っている。
だが昨今の作品作りの有り様には疑問を感じ得ない。写真を楽しむどころか苦しんでいるようにしか見えない。 その原因は写真コンテストの在り方にあり、応募作品に多額の賞金を供したことにある。
コンテストの目的が作品そのものから賞金にすり替わると、応募者は選者の意向を探り、己の感性をないがしろにしてまで賞金獲得を優先しだした。
審査委員の好みというフイルターを意図した作品作りに奄出すあまり、愉しいはずである作品作りが忘れ去られている様に感じる昨今である。
<受賞歴>:東京都知事賞:秀作受賞歴1点:入賞受賞歴3点
2020/03 mitsuru_Sekii
1.どのように撮りたいのか主役は明確に…
何をどう撮るかを明確に、被写体に何を感じたかが大切、感じるものが無ければ伝わる力にはならない。
自分自身が被写体に対して感動を覚えないものをどんなに懸命に撮っても、単なる普通の写真に止まり、鑑賞者に作者の感動など伝わる道理は無い。
2.主役は一つで良い。
作品の中には見て欲しい対象(主役)は一つに絞るべきで、あれもこれもと作品に入れたいのは分かるが、それでは主役が弱くなり目的が散漫となる。
3.主役を引き立てよ…
主役の存在を邪魔するものは省き、主役の引き立て役としての脇役の存在を大切にすべきである。あらゆる芸術で言えることだが、作品は主人公とそれを引き立てる脇役で成り立っていることを意識せよ。 能楽・歌劇・演劇などから分かるように主人公は一人だけであり、あとは主人公の引き立て役で成り立っていることからも作品としての在り方を学んで欲しい。
4.写真は二次元であるが、三〜四次元の世界も可能である。
写真という二次元世界で扱う以上光と影は特に大切である。主役を引き立てる光と影は大切な主要素であり、この光と影とをしっかりと意識すべきだと思う。更には立体感と時間経過も作品に取り入れることも大切な要素だと感じている。
5.シャープか否か、
言うまでも無く対象(主役)を意識させるにはシャープさも大切な要素であり、ピン惚けではまったく話にならない。 2020/02 mitsuru_Seki